アラサー元百貨店マンの思考整備工場

百貨店に勤務していた社会人3~5年目の記録。もう書きません。

2時間以内で帰れる実家に帰る意味。

連休中、2日間だけ実家に帰った。

別に両親に顔を出す以外に意味はない。

しかし、ふと、「行き帰りの電車に乗ること」という意味があるのではないかと思いついた。

 

 

 一人暮らしになってから通勤時間(ぼーっとする時間)が減った。

 

ぼくは、社会人1年目の途中から、一人暮らしをしている。

実家から職場までは1時間半くらいで、別に通えない距離ではない。

 

しかし、大学のときから早く実家から出て独立したいという気持ちがあり、

職場から30分程度、実家から1時間半程度の場所で一人暮らしを始めた。

 

(いまの会社では家賃補助が出ない上に残業が強く規制されているため、入社からしばらくの手取り額は17万円程度。一人暮らしを始めるのは同期の中では珍しかった。)

 

高校や大学のときは実家から電車通学をしていた。

特に大学は1時間半程度かけて通っていた。

朝の都内への上り電車、夜の下り電車はいつも混んでいる。

まず座れることはなかった。

 

朝は、1限を入れないなどラッシュ時を避けるという調整をすればよかったのだが、

夜はどうしようもない。

飲み会帰りの終電間近の電車は、眠いし疲れてるし、座れないしで大変だ。

ただ耐える、しかない時間だ。

 

一方、社会人になり、一人暮らしを始めてからは、通勤時間が30分に減った。

たとえ座れなくても、スマホをいじっていれば、すぐにその時間は終わる。

 

実家から出ることによって、通勤・通学の電車の中の時間が大きく減ったが、

その時間は、ぼくにとって大事な時間だった。

 

ぼーっとする時間には意味がある。

 

 

たしかに、電車の中でニュースアプリを読んだり、本を読んだりすることはあった。

しかし、ぼくが強調したいのは「ぼーっとする時間」である。

ぼーっとする、というと語弊があるかもしれないので言い換えると、

スマホもいじらず、ただ自分の頭の中で思考する時間である。

 

大学までの電車の中でそんな時間があった。

それは、自分の中の感情や意思や悩みを確認して整理することができる大切な時間だったのだ。

実家まで帰るときに、大学から帰る路線を辿りながら、そんなことを思い出した。

 

最近読んだことの本ではその自分の頭の中で思考する状態を「孤独」といい、

「自分の思考が他者の思考のインプットから切り離された意識の状態」

という定義が紹介されていた。

この本については、内容をまとめた記事を書こうと思っている。

 

 

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