アラサー元百貨店マンの思考整備工場

都内大学→新卒百貨店→広告代理店。人生2周目を迎えた名もない人間の物語を書きます。

百貨店から広告代理店に転職したら地獄だったけど自分を見つけられた話【覚醒編】

「覚醒」という言葉は、現代こと少年漫画ではよく、

「ある出来事がトリガーとなって、秘められていた力が解放し強くなる」

といった意味で使われる。先にこの文章の結論を言う。

 

「覚醒」とは多くの人にとって「秘められていた力が顕れること」ではない。

「覚醒」とは「自分の価値を発揮できる条件がわかること」である。

 

■前回の話

achten.hatenadiary.com

 

百貨店から広告代理店に転職したら地獄だったけど自分を見つけられた話【覚醒編】

第3章 屈辱の社内ニート期間、そして決意

約2ヶ月間の社内ニート期間

ぼくのギブアップ宣言の数日後、ぼくの今後の処遇について、マネージャーから以下のような説明があった。

「事前に話した通り、お前を今までと同じポジションには置いておけない。これから言うポジションのどちらかに異動させようと考えている。一応希望を聞く。どっっちがいい?

A:育休から復帰するエース社員(先輩)のお手伝い

育休中だったエース社員(先輩)に復帰後にプランニング(企画)をやってもらおうという動きがあった。その先輩が復帰した後、資料を作成したり調べ物をしたりするサポート役。

B:自社サービスのLPにタグなどを埋め込むなんちゃってコーダー

自社サービスのLPに、効果測定をするためのGAタグを埋め込む係。(正直何をするのか今でも不明。)」

 

そこで僕は、Aの方を選んだ。

理由は、「育児勤務の人と一緒だとリモート勤務しやすそう転職活動をしやすそう」だからだった。(ぼくはギブアップした時点で、もう転職しようと決めていた。ここでやり遂げられなかったら退職しようという覚悟で臨んでいた。)

そんな理由で選んだのだが、のちにこの決断がぼくにとって幸運な決断となる。

 

その後、希望通り営業サポートのチームに配属予定となり、内示も出た。

しかし、一緒にやる先輩の復帰日はまだ2ヶ月先。
ぼくは3月からの2ヶ月間、元の部署にいながら、仕事の引き継ぎや、新しい部署に移るための準備として新卒と同じ研修受けたり、営業同行をしたりして、時間を潰すこととなった。

正直引き継ぎもそれほど時間がかからないし、基本ぼくに新しい案件の仕事は振らないことになっていた。そのため、毎日昼過ぎにはタスクがすべて完了してしまい、有り余った時間を読書(一応業務に関連するもの)して時間を潰すということをしていた。

まさに「社内ニートである。社会人になってこの期間ほど社内を歩きづらい期間はなかった。

転職を断念し決意する

社内ニートになり、転職活動を始めた。定時ピッタリで帰れていたし、
ぼくの勤怠管理をする人もいなかったため面接の時間を調整することは容易だった。

そのときの転職の軸は

  1. 仕事量が少ない
  2. 仕事の難易度が低い
  3. 年収400万円以上
  4. 今までの経験が少しは生かせるところ

これでしかなかった。相当に腑抜けた軸だと思われるだろうが、それほどまでにぼくの自己肯定感や自信感は低くなっていた。大学受験に全落ちした現役受験生の頃よりも落ちていたと思う。生きていけるなら仕事なんて何でもよかった。

 

そんな考えではあったが、転職活動を進める上で、どうしても解消できない問いがあった。

それは、「自分は社会に対してどんな価値を提供できるのか、またそれが可能になるのはどんな環境か」という問いである。

自己分析をしたところで、この問いに対する答えがわかることはなかった。

 

現代の資本主義社会では、人間は社会に対して何かしらの価値を提供しないと対価を得られず生きていくことができない。そして自分は現在、社会に対して価値を提供できておらず、また提供できることが可能になる環境もわかっていない。

そんな当たり前の真理と自分自身の危機的な状況に、ぼくは身ぐるみを剝がされてようやく気付いたのだ。

この問いがわからないまま転職してもまた同じ過ちを繰り返すことになるのではないか。そう考えた僕は、選考が進んでいる会社をすべて辞退し、恥を忍んで今の会社に残り、問いの答えになるもの少しでも掴んでから辞めるという決断をした。

第4章 模索期、どうやって食っていけるか

育休中だった先輩社員が復帰し、プランニングや資料作成で営業をサポートするチームとしてぼくは働き始めた。この時期は、思いのほか非常に有意義であったと振り返る。

仕事内容は、先輩が企画書を書く上での必要な調べ物をしたり、自分で企画書の一部を資料作成したり、展示会に行って情報収集をするなど、当時のぼくにとってそれほどしんどいものではなかったし、楽しかった。また、業界やWEB・SNSの知識などを着々と身につけていくことができた。

環境面で言っても、先輩社員と自分2人のみのチームだったこともあり、文字通りマンツーマンでかなり丁寧に先輩に指導してもらえたことはとても運がよかった。

 

目の前にたくさん作業があり、自分のミスがクライアントの損失に直結するような前の部署から打って変わり、
プレッシャーが少なく、広く知識を必要とされる環境はぼくにとって非常に相性がよかったのだと思う。

そして仕事を進めていく上で、先輩やその上のマネージャーにある程度「これくらいはできるのね」と認識されたのか、プランニング(企画書を書く)も任せられるようになった。最初は先輩に大量に赤字を入れてもらいながら、企画書の書き方、企画の立て方、論理性のある組み立て方を勉強していった。

 

第5章 価値発揮期、そして決断

自分の強みと、価値を発揮できる環境

新チームとして働き始めて8か月が経つ頃、ぼくたちのチームが増員の上、正式に部署として新設されることになった。

ぼくはプランナーとして独り立ちし、大体週に1本ペース(年間50本程度)で企画書を書くようになっていた。

それでもまだぼくは先輩方との差を痛感することも多かったのだが、周囲に対して優位性を発揮する場面が少しずつだが出てきた。

そしてそれがなぜか自分自身で考えていくことで、自分の強みと、価値を発揮できる環境をだんだんと自覚していくことができた。

例えばであるが、こんな感じ。

 

【優位性を感じられる場面】

  • 同じ部署の上司や先輩よりWEB・SNSに詳しくなった(元から詳しかったわけではなく、また意識的に勉強していたわけではなく、自然と勉強していた)
  • プロモーション実施するために必要なWEBツールやパートナーに詳しくなり、さらに新たな開拓もした
  • 世の中のプロモーションから参考にできそうなものをキャッチアップして部内に共有していた
  • 身に着けた知識を企画に生かすことができた

【上記から考えられる自分の強み】

  • ざっくりとした解像度で大量に知識を記憶できる
    ⇒たしかに、受験生の頃は知識系の科目はかなり得意だった。
  • 勉強することが苦にならず、自然と勉強できる
    ⇒どうしたらこのプロモーションが可能になるのか調べる過程で自然とWEBの知識が身に付いた感じ

【価値を発揮できる環境】

  • 広い知識を求められる環境
    ⇒知識をそれほど必要とせず、いかに早く正確にということを求めらる環境は優位性を発揮することが難しい
  • 長く勤めることができる会社
    ⇒知識や経験を自分の武器にしたいので、長く勤め社内での徐々に優位性が上がっていくという環境がベスト

 

反対に、弱み絶対に行ってはいけない環境というのもわかってきた。

新卒のときから自己分析に取り組んではきたが、ここでまた一段、解像度が上がったと実感した。

これがぼくが冒頭で書いた「自分の価値を発揮できる条件がわかること=覚醒」である。

 

しばらくすると、営業サポートチーム時代から一緒にやってきた育休明けの先輩が、二度目の産休・育休に入ることになった。

その結果、ぼくは部署の中に2チームあるうちの片方のチームのリーダー的立ち位置になり、部署内・他部署から頼られることも多くなっていった。

 

決断、二度目の転職へ

この頃、ぼくは30歳の誕生日を3か月後に控えていた。
社内ニート期間の転職活動を断念したとき、「30歳の誕生日までに問いの答えをつかみ転職する」という目標を立てていた。
(30歳というのは、「転職市場においてひとつの線引きになる20代のうちに転職しよう」というただの自分で決めた目安である。)
逆算の上、転職活動を始めた。

このときの転職活動について、この記事では詳しく書かないが、転職活動の最大の目的は「長く勤めるイメージが沸くところに行く」だった。

これは先に書いた「自分が価値を発揮できる環境」を追い求めた結果である。

結果的に、現職よりも会社の規模が大きく、年収も上がり、より自分が長く勤めるイメージが沸く会社から内定をもらうことができた。

マネージャーに退職の旨を伝えたところ、ありがたいことに引き留めにあった。
人数が少ないチームの実務面のリーダーがいなくなるのだから引き留めは当然かとは思うが、

部署をクビになって、社内ニートになり、逃げるように辞めていくのではなく、
引き留められて少しは惜しまれるように辞めることができるのはとてもよかったと思う。

まとめ

「覚醒」とは「自分の価値を発揮できる条件がわかること」

器用な人は、そもそも対応力があって「価値を発揮できる条件」がそれほど厳しくないのかもしれない。(新卒の就活で自己分析をしてわかる程度の解像度で仕事を選べばそれなりにやっていける。)

しかし、ぼくのように不器用な人は「価値を発揮できる条件」が厳しく、なかなか自覚することが難しい。そんな人は、トライ&エラーを繰り返すしかない。
今いる環境で、成果を出すために努力して、うまくいかないなら、小さくてもいいからできることを見つけて、愚直に取り組んでいく。そうすると「これは苦手じゃないかもしれない」くらいのことがわかってくる。それを手掛かりに他にできることを探して、、を繰り返していく。
結構大変だけどこれしかないのかなと思う。

 

3つの幸運

この2年半は結構大変な思いもしたけど、3つの幸運があったと振り返る。

1つ目の幸運は、最初に配属された部署で、WEB・SNSの知識・経験・感覚を得られたこと。クビにはなったけど結果的にそれが次の部署で活躍できる大きな要素になったし、転職の際にも大いにプラスに働いた。

2つ目の幸運は、部署をクビになったあと提示された移動先の選択肢から、「A:育休から復帰するエース社員(先輩)のお手伝い」を選べたことである。その結果、ぼくは覚醒(自分の価値を発揮できる条件がわかる)することができた。

3つ目の幸運は、20代のうちに異業界への転職を経験できたことである。要らぬプライドがついてきてしまう30代になってから、同じ経験は無理だっただろう。20代の内に経験できてよかった。

 

新しい会社に転職しても、またつまずく可能性も大いにある。
だけど、以前つまずいたときより自分自身の理解度が増していることは確かだ。
だから、頑張って乗り越えられる気はしている。

 

「百貨店から広告代理店に転職したら地獄だったけど自分を見つけられた話」完