アラサー元百貨店マンの思考整備工場

都内大学→新卒百貨店→広告代理店。人生2周目を迎えた名もない人間の物語を書きます。

百貨店から広告代理店に転職したら地獄だったけど自分を見つけられた話【地獄編】

3社目に転職~ブログを更新したくなった理由~

気づけば2023年もあとわずかとなった。

現在、2023年12月30日19時23分。

かつてこのブログを書き始めた25歳は、つい数週間前に30歳になった。

 

ブログを書き始めたころとは、勤めている会社も、やっている職種も、住む場所も、付き合っている人も、交友関係も大きく変わっていることに気づく。

 

2年半ほど前、現在勤めている会社に転職するまではブログを定期的に更新する習慣があった。しかし、忙しかったり、必要性をあまり感じなくなったのか、いつのまにかそんな習慣はなくなってしまっていた。

そんな中どうしてブログを書きたくなったというと、来年1月に今の会社を退社し、2月から新しい会社に転職するからである。(3社目)

(先に言うと、100%前向きな転職である。年収も待遇も良くなる。)

 

2023年だけでなく、今勤めている会社(2社目)に入社した2021年8月から今までのことを振り返ろうと思う。

 

百貨店から広告代理店に転職したら地獄だったけど、自分を見つけられた話【地獄編】

第1章 未経験でSP会社のWEB・SNS部門に入社!

ぼくが新卒で入社した百貨店を4年4か月で退社し、転職したのは、広告業界の中でも企業のセールスプロモーションを請け負う、いわゆるSP会社。企業の販売促進を行う、社員数100人以下の小規模な会社に、ほぼ未経験で半ば第二新卒のような扱いで入社した。

広告業界は一般的に知名度がある総合代理店(電通博報堂ADKなど)のほかに、

  • テレビ・新聞・交通広告・屋外広告など媒体を持っている媒体系代理店
  • WEB・SNS広告をメインで取り扱うWEB広告代理店
  • PRを専門に行うPR会社
  • 広告の制作をメインで行うクリエイティブエージェンシー
  • 販売促進を支援するSP会社

 など有象無象に会社がたくさんあります。

job.rikunabi.com

 

最初に配属された部署は、「マーケティング」という名のついた部署。
しかし一般的な広告代理店のマーケティング部門や、事業会社のマーケティング部とは違い、「WEB・SNSの何でも屋」といった部署だった。実際に自分が担当した業務とその割合は下記の通り。

  • WEB・SNS広告の出稿代行(20%)
  • SNSの投稿・配信代行(30%)
  • LPの制作ディレクション(40%)
  • 自社サービスの管理(10%)

 

百貨店で売場での接客と、主に紙媒体を使った宣伝業務しかやったことのないぼくからすると、WEB・SNSの幅広い分野の業務を行うことができるということで、最初はワクワクしていた。しかし、これが悪夢の始まりとなる。

第2章 部署をクビになる

部署を「クビになった」と言われも、ぼくが体験した「クビになった」を正確にイメージできる人は数少ないのではなかろうか。おそらく「職務適性がないと判断されて、それとなく異動の内示が出る」くらいのイメージをされる人が多いだろう。
ぼくは文字通り「クビになった」のだ。

 

入社後、上記の業務に取り組んでいたのだが、
ぼくの性質とその業務の相性がとにかく悪かった。

このブログでは何度も書いてきたことだが、ぼくは人より言語の認識・生成に時間がかかってしまい、従って物事をテキパキと効率的にかつ正確に進めていくことがとても苦手だ。

しかし、与えられた業務は正確に・ミスなく・迅速に進めていくことが求められるものだった。(SNS関連の出稿・投稿代行なんて決してミスがあってはならない総本山みたいなもの。)

加えて、すべてWEB・SNS領域とはいえ分野の違う4種類の業務を同時並行で進めていかないといけない環境は、ほぼ未経験で入社し、それまでのキャリアのほとんどを店頭で過ごした当時のぼくを絶望的な状況に陥らせてしまった。

結果どうなったかというと、すべての業務において時間がかかりすぎてしまい、そのパフォーマンスがマネージャーやその上長から問題視されるようになった。

すると、ある時(入社して半年になる頃)、マネージャーからある宣告をされる。

内容は次のようなものだった。

 

  • これから3か月間、お前を鍛える。
  • お前の仕事が効率的になるように、毎日マンツーマンで徹底的に指導する。
  • 今まで以上に厳しく接する。時間の都合上、ほかの社員がいる中でも𠮟責することもある。
  • 毎朝8時に出勤(定時は9時半)して、マネージャーとスケジュールをすり合わせる。
  • 朝一緒に決めたスケジュール・タスクがその日中に絶対に終わらせる。終わるまでに帰ってはいけない。
  • これをやるかやらないかは選んでいい。また、途中できついと感じたらギブアップしてもいい。しかし、やらない、もしくはギブアップしたらお前には今後簡単な仕事しか任せられない。

 

といった、令和を生きる私たちからするとなかなかセンセーショナルなものであったが、当時のぼくは、これを受けるという決断をした。

理由は、純粋に自分を変えたかったからだ。苦手を克服してテキパキと仕事が進められる普通の人になりたかった。

 

「普通の人」という言葉は、今思うと当時の自分の、世界の認識の狭さからきているものだと思う。世界にどんな性質の仕事があるのかも今より認識が浅かったし、自分の適性もこのときはわかっていなかった。

 

ぼくはこれが「自分のやりたいことを仕事にする人生最後の戦い」だと思って、相当な覚悟を持って臨んだつもりだった。ここで自分の苦手を克服できなかったら、自分がやりたい、いわゆるホワイトカラーの仕事は無理だろう、自分一人つつましく生きていける仕事を見つけていこうと思っていた。

 

こうしてぼくにとって試練の日々が始まった。

毎朝8時前に出勤し、マネージャーとスケジュールを合わせ仕事を進めていく。しかし、設定されるタスク量がそもそも当時の自分のキャパシティを遥かに超えているため、毎日22時頃まで残業し家に帰る。そして、こっそり家に持ち帰った仕事を終わらせ26時ごろ就寝、6時半に起床し出勤、朝のスケジュールを合わせる時間には、マネージャーにはなぜ定時までに終わらなかったのを詰められ、、、

 

といった日々を続けていったわけだが、始めて1か月ごろぼくはギブアップした

体力面に関しては4時間睡眠が続いただけで、そんなにきつくなかったのだが、先に精神面が折れてしまった。いくら頑張っても自分の能力が改善する気がしなかった。

自分に憑いているこの呪い(性質)はどうあがいても取れることはない無能感に、ぼくの熱意が負けてしまった

 

ギブアップの旨をマネージャーに伝えた。

マネージャーは淡々と、「そうか」と言い、「これからお前をどうするのか決めるのかちょっと待ってて」と続けた。

 

かくしてぼくは、入社から7か月で部署をクビになった。

 

 

「百貨店から広告代理店に転職したら地獄だったけど自分を見つけられた話【覚醒編】」に続く↓

achten.hatenadiary.com