【映画『ソラニン』を観て】大学を卒業してからが「青春」との本当の勝負
映画『ソラニン』を観て思ったことを書いていきます。
本作は、2010年に公開された青春恋愛映画です。
三木孝浩監督が同名の原作漫画を実写化しました。
あらすじ
補足説明
・芽衣子(宮崎あおい)、種田(高良健吾)は大学を卒業して2年目(24歳?)。
・芽衣子は就職するが、人生このままでいいのかと思い悩み、相談した種田に背中を押され退職する。
・種田は、芽衣子とバンドのどちらを取るか葛藤している中、交通事故に遭い、なくなってしまう。
この映画を観て、主人公の芽衣子や種田が自分と同年代ということもあり、
共感できる部分がたくさんありました。
大学を卒業してからが「青春」との本当の勝負
ここでいう「青春」とは「自分のやりたいことを貫き通すこと」
「勝負」とは、
・社会の同調圧力(大学を卒業したら定職に就くべしとか)
・社会のレールから外れることへの恐怖
・夢を追うと同時に好きな人と幸せな家庭を築きたいという、時に相容れない欲望
といったことの戦いを指します。
生きる道を見つけるのに4年間では足りない
よく、日本では大学生活を「モラトリアム」と言います。
自分はこれからはどう生きたいのか、自問自答するのが大学時代です。
中には、早くから自分の道を見つけている人も確かにいます。
大学に行かず、プロスポーツ選手、美容師、看護師を目指す人
大学に行って研究者、医師や弁護士などを目指す人
しかし、自分が何者なのかわからず、大学時代に自問自答しながら、
就活の自己分析や面接でなんとなく答えを出して無理やり自分を納得させる人がほとんどではないでしょうか。
しかも中には、その答えにも納得できず、退職してしまったり、転職活動を始めたりする人もたくさんいます。(僕です。)
正直、4年間では足りないのです。
大学生という身分に守られている間はしんどくない
僕自身、大学受験が終わり、明確な目標がなかなか見つけられなかった大学時代はとてもつらかった記憶があります。
しかし、今考えると、生きる道を見つけられていないまま卒業してしまった社会人よりは遥かにマシです。
大学生がいろいろなことに手を出して、迷走していたとしても世間から大きな批判を受けることはないでしょう。
それは「大学生」という身分に守られているからです。
社会人が、自分の「青春」のために定職に就かず、親のすねをかじっている状態を、
世間は「ニート」 と呼び、許容力のない価値観をお持ちの方は徹底的に非難します。
「青春」との本当の戦いは、大学を卒業してからです。
「ちゃんとした大人に見られたい」「好きな人と家庭を持ちたい」、「親を安心させたい」
そういった欲に負けて、自分が人生に妥協するまでこの勝負は続きます。
多くの人が30〜35歳くらいで戦いをやめざるを得ません。
22〜35歳という時間は、人生最後の青春との勝負の時間なのです。
別に妥協することが悪いとは言っていません。
誰しもいつか妥協する日が必ず来ます。
でも僕は、たとえ勝負に負けるとしても、粘って粘って戦い続ける人を尊敬しますし、
ぼくもそういう風に生きたいと思っています。
もう少し時間をください。何か答えが見つかるまでは。
たとえそれが険しい道で、世界の果ての果てまで続いても...
僕は僕の道を行くんだ。
映画『ソラニン』より
まとめたいことがまた見つかったので、
記事を2つに分けることにします。
今回はここまで!
ブログランキングに参加しています。
クリックしていただけると励みになります。