会社を続ける人より辞める人の方が偉いに決まってる
以前の記事で書いたように、同じ店舗配属の同期が入社2年で全員辞めてしまいました。
1人目が退職することを知った時、ぼくがもう1人の(後に退職する)同期と、話したことがあります。
今回はそれについて書いていきます。
- 日本人は「続ける」ことを称賛する民族
- 「続ける」ことは別にすごいことじゃない
- 会社員のとって「転職」は唯一にして最大のカード
- 「自分は主体的に何かを選び取った」という感覚は、非常に大きな幸福をもたらす
- まとめ
会社を続ける人より辞める人の方が偉いに決まってる
日本人は「続ける」ことを称賛する民族
幼いころから僕は「続けることは偉い」という価値観の中に生きてきたように感じます。
母親から「あんなに最初は嫌がっていた水泳を7年間も続けて偉い。」と褒められたり、
中学の時は部活を引退前に退部することは、なんとなく不良なイメージがありました。
おじいちゃんのうちに行った時はおじいちゃんが会社からもらった「勤続〇年」の感謝状が飾ってありました。
僕の人生だけに限らず、
今までの日本は、「続ける」と褒められるということを小さいころから刷り込まれるような社会だったのではないかと思います。
歴史的な考察をする時間はありませんが、
職人、料理人などを紹介するときに「この道30年の...」とか言われると、日本人は比較的「すごい!」と感じてしまうのは直感的にわかると思います。
イチローを神格化する感覚も同じですね。
会社においても同じことが言えて、転職が一般化している流れはあるものの、
まだまだ会社を辞めることに対してマイナスイメージがある職場もたくさんあると思います。
「続ける」ことは別にすごいことじゃない
「続ける」ことはすごいと言われますが、正直、クソ真面目に小中高と勉強し続けて、部活も最後まで辞めずに、楽しくもなんともない受験勉強をやりぬいて、日本の人口の上位10%といわれているMARCH以上の大学に合格した僕らにとって(もちろん学業以外のものでも)、
つらいことを我慢して「続ける」ことは、
決して難しいことではありません。
問題は、「続ける」目的を意識せずに思考停止してしまうことです。
自分は何がしたいのか、人生で達成したいことはな何なのか、といったことに向き合うことを避け、明確な根拠を用意せずに、
「とりあえず働き続ければ安定でしょ。」
「転職しても今より状況が悪くなるかもしれない。」
「今の仕事もそんなに悪くないかもしれない。」
と自分に言い聞かせて、現実と向き合うのを避けるために「続ける」ことに、意味はありません。
むしろ「辞める」ことは称賛されるべきなのです。
「辞める」という行為は、少なくとも、現実と向き合って、「続けた」場合の未来と、「辞めた」場合の未来を比較して意思決定をしています。
たとえ短絡的な理由であったとしても、自分の本能にしたがっているだけまだマシです。
しかし、今まで「続けてきた」人ほど、その投資分が大きく見えてしまい、辞めることに抵抗感を覚えてしまいます。
会社員のとって「転職」は唯一にして最大のカード
たびたびこのブログでも紹介している書籍『転職の思考法』の中にこんな言葉があります。
『辞められない』という思い込みの檻の中に閉じ込められたら、どんな人間も必ず自分に小さな嘘をつくことになる
つまり、転職という選択肢を持つことによって、対等な立場で会社や上司と接することができるようになり、結果自分が正しいと思うことができるようになる、ということ。
「自分は主体的に何かを選び取った」という感覚は、非常に大きな幸福をもたらす
今年の2月に読んで、心に非常に引っかかった記事の一説です。
選択した結果如何よりも、主体的に選択したかどうかの方が幸福感に影響を与えるということが、科学的にも証明されているそうです。
たしかに、たとえ結果が悪くても、自分でやると決めたことであれば、
後悔感の度合いは少ないということは、直感で想像できます。
いわゆる、「やらない後悔よりもやって後悔」というやつですね。
まとめ
退職するということは(もちろん内容にもよりますが)、主体的に人生を生きているということ。
だから、会社を辞める人は偉い。
そして、主体的選択は大きな幸福感をもたらすことがわかっている。
変化を恐れずに主体的に生きていこう。
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