アラサー元百貨店マンの思考整備工場

都内大学→新卒百貨店→広告代理店。人生2周目を迎えた名もない人間の物語を書きます。

10連勤中の6勤目、なかなかしびれる。

うちの会社の制度では、

最大12連勤が可能だ。

 

月ごとに、取らなければならない所定休日の数が設定されていて、

それを、1か月のなかに割り振る。

1週間に最低1日、休日をとればいいので、

2週間の両端で取れば、12連勤が可能、ということだ。

 

普段は3日働いて1日休み、

2日働いて1日休み、みたいな感じで取っているのだが、

今週ははいろいろと業務が重なり、なかなか休めない。

 

10連勤中の6勤目。

入社してから確か5連勤が最長記録だったので、

記録更新だ。

 

普段土日休みの人にとっては大したことないんだろうけど、

3勤までが普通のぼくにとっては快挙だ。

 

おめでとう。自分。

がんばろう、自分。

 

不安を取り除くためには不安と向き合うしかない。

不安を取り除くためには不安と向き合うしかない。

 

 

受験勉強の不安を取り除くためには、どうしたらいいのか。

 

受験勉強にある程度真剣に取り組んだことがある人は

この問いの答えがすぐにわかるだろう。

 

答えは「勉強する」だ。

受験生は、勉強に行き詰まったから遊ぼう、と思っても、

勉強が気になって気分転換にならないことが多い。

 

それが根本的な問題解決にはならないと、直感的にわかっているからだ。

 

昔、テレビで、オリンピック金メダリストの北島康介さんが

 

「試合で緊張してしまうのは、今までの生活の中で、サボってしまったという自覚が合って、『もっと練習しておけばよかったな』『手を抜かなければよかったな』と思ってしまうから。緊張しないようにするためには、生活を目標にをささげて、『これ以上はやりようがなかった。絶対に大丈夫だ』と思えるようにすることが重要だ。」

 

というようなことを言っていたのを覚えている。

 

 

仕事も同じだなと最近つくづく思う。

 

仕事に不安を感じて集中できないときというのは、

やるべき「準備」をしていないという自覚があるから

だと思う。

 

仕事に対する不安を取り除くために必要なのは、

現実逃避ではなく、その不安に少しずつでいいから向き合うことだ。

 

もちろん、体や心の体力を回復させるために、

旅行に行ったり、温泉に入ることは有効だ。

 

しかし、それで仕事に対する不安がなくなるわけではない。

そこは分けて考えなければならない。

 

そんな風に思いつつ、

でも疲れちゃうから、休むのも大切だよね、

とも思っている。

心や体の健康より大事なものはないよ、本当に。

 

 

新入社員時代の部長が退職した

 

新入社員時代の部長が会社を辞めた。

 

人望が厚い部長だった。

部下に優しく、厳しくもあったけど、

罪を罰して人を罰せずというような、その人の言うことならみんな

素直に聞ける、という人格者だ。

 

新入社員のぼくは、その場にいなかったから直接は見てないけれど、

部門と、本社や取引先と意見が食い違い揉めたときは、

部門のトップとして、戦ってくれるような人だと、先輩からよく聞いた。

 

仕事もできて、グループ会社の社長をやったこともあるような人だが、

そんな人が50代も入ったばかりのタイミングで会社を辞めた。

 

フリーランスとしてコンサルを始めるそうだ。

 

かっこいいな~、すごいな~と思うものの、

なんか年齢が遠いこともあって、「この人みたいになろう!」と

思うことは難しい。

 

ロールモデルが見つからくて辛かった新入社員時代

 

入社してから2、3年目までの頃、

「○○さんみたいになりたいな〜」と思える先輩が見つからず、悩んでいた。

 

「○○さん仕事できてすごいなー、かっこいおなー」と尊敬する先輩はたくさんいたものの、

この人みたいになりたい!、と思える先輩はいなかった。

 

これが何故辛かったかというと、

・自分が将来的にこの会社で活躍しているビジョンが見えないから

・頑張ったところで、自分の理想像にはたどり着かないんだろうなと思ったから

である。

 

 

自分の会社は、20~30代の社員が少ない(平均年齢は40代後半)。

新入社員当時の僕の周り(同じ部門内)に、自分のロールモデルとして現実的にイメージしやすい「20代男性の先輩」は2人しかいなかった。

 

 そしてその2人は、とても優秀ではあったけれども、

ぼくとタイプ(性格・キャリアの志向性・得意分野など)が

かなり異なっていた。

 

だから、これらの先輩は、

 「この人みたいになろう!」というロールモデルにはなり得なかった。

 

 

 

ロールモデルなんか見つからなくていい。」と開き直れたのは自分の働く軸を見つけたから

 

こういう悩みは、

平均年齢が40歳を超えちゃっているような古い大企業に勤めている20代にとっては

珍しくないなのではないだろうか。

 

少子化が進んでいる現代においては、

これからどんどんその傾向が強くなっていくだろう。

加えて、現代はキャリアに対する価値観も急速に変化してる時代である。

 

同じ会社に定年まで働くことを考えて大企業に入社した人は、40代には、

まだいたかもしれないけど20代にはほぼ存在しない。

 

そんな社会においては、ロールモデルを見つけることにそれほど価値はないと

ぼくは、ある時から開き直った。

 

そのある時とは、社会人になってから改めて自己分析をして、

自分の働く軸を見つけられたときである。

 

 

(とはいえ、「ロールモデル先輩」が見つかるような会社はうらやましい。

正直、ロールモデル先輩がいた方が成長スピードは上がるだろう。いいなぁ~。)

 

 

 

 

 

 

言語化できなければ、存在しないのと同じ【本日から一筆書きで毎日投稿】

 

言語化できなければ、存在しないのと同じ

 

言語化できなければ、存在しないのと同じだよね、こと仕事においては。

 

と最近よく思う。

ぼくは、文字を読むのが苦手だけど、同時に

言葉を生成して発するのも苦手である。

 

というか、

言葉を媒介した思考全般が苦手、ということだと思っている。

 

他人と会話するときの頭の中の動きをざっと細かく分解すると、

 

①音(言葉)を聞く。

②その音が、自分が持っている言語にないか照合する。

③意味を理解する。

④それに対して、思考する。

⑤思考を自分の持っている言語で言語化(言葉に)する。

⑥言葉を発するように脳に指令を出す。

⑦口や声帯を動かして言葉を発する。

 

こんな感じになる。

ぼくは、④の段階で、言葉を使って思考せずに、イメージで思考するので、

⑤の段階で、言語化するのにとても時間がかかっていしまう。

だからまだ固まっていない、ドロドロな、言葉とは言えない言葉で、

話すことも多い。

 

「〇〇〇的な感じの~」

「あんまり微妙といいうか~」みたいな。

 

学生時代まではそれほど問題になることはなかった。

なぜなら、話す相手が同じパラダイムを持っていることが多かったからだ。

 

同じような時代に生まれ育ち、

同じようなレベルや内容の勉強をしていて、

同じようなものを見てきたことが多かったからだ。

 

ぼくがドロドロな言葉を話しても、

「わかる、わかる」と汲んでくれた。

そして、それをうまくちゃんと固まった言語にしてみんなに伝えてくれる友達がいたのだ。

だからなんとかなった。

 

しかし、社会人になり、

人口ピラミッドが逆三角形の会社に就職したぼくは、圧倒的マイノリティーになった。

 

生まれ育った時代がまるでちがう相手に、たとえば

「この企画はダサい、イケてない」という根拠を、

ドロドロな言葉で説明して理解してもらうのはかなり難しい。

というか不可能である。

 

どれだけいいアイデアを持っていたとしても、

言葉にできなければ、持っていないのと同じだ。

 

本日から一筆書きで毎日投稿

 

だから、地道に言語化力を身に着けるために、

毎日投稿を1週間続けてみようと思う。

今までと違い、30分という時間制限を設ける。

どんだけ駄文になったり、テーマがなかったり、話がめちゃめちゃでも

いいから一筆書きで投稿する。

 

このブログの本来の目的は「アウトプットの練習」なのだが、

より短時間で言葉にする練習をしていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分のメンタルを回復させる方法は知っていた方がいいよね」という話

3月になり、社内の体制が大きく変わった。

自分の部門も要員が2割減となり、1人あたりの業務量が増えた。

 

ただでさえ、キツキツで回していたところに要員減となり、

各々の仕事量が増え、部門内は火の車状態となっている。

achten.hatenadiary.com

 

その中で、最も大きな炎を上げてしまっている僕は、

またまたハードモードとなり、今月はメンタルを大きくすり減らす月となってしまった。

 

 

自分のメンタルを回復する方法は知っていた方がいいよね

 

f:id:achten:20210326193319p:plain



メンタルが上向かないときは、ともすると、

どんどん悪化の坂を下ってしまう。

 

(「なにも考える気力がなく、YouTubeをだらだらと見てしまい、

それによって頭を働かせることができない鬱状態になり、

負のスパイラルに陥る」みたいな感じ。)

 

だから、自分の「メンタルが回復する行動」と、逆に

「メンタルが悪化する」行動を

知っておいて、意識的に活用する方がいいよね、とぼくは思っている。

 

ぼくの場合はそれぞれこんな感じ。

 

【メンタルが回復する行動】

・読書

(特にビジネス系の「読まなきゃ」という動機の本よりも「読みたい!
」と思う趣味系の本の方がよい。)

・寝る(8時間程度、目覚ましをかけずに。)

・近所を一人で散歩する(好きな音楽を聴きながら。)

・温泉(スーパー銭湯的な)に入る(一人で)。

・ブログ、日記を書く。

 

【メンタルが悪化する行動】

YouTubeAmazonプライムビデオなどのストリーミングサービスなどを
    際限なく見続ける。

・他人と丸1日以上、一緒に過ごす。

 

これから言えるのは、自分は

「内省する時間が足りなくなるとメンタルが悪化する」ということ。

 

仕事で失敗したり、人間関係で嫌なことがあると、

現実逃避したくなり、ついついスマホをいじって頭を使わなくていいYouTube動画を観たり何にも生み出さないことに時間を費やしてしまう。

 

これは、結果的に「内省する時間は減少する」ので、さらにメンタルが悪化する、

というのがいつものパターンである。

 

そういえば、

以前読んだ、『デジタル・ミニマリスト』という本の中でも、

「孤独の重要性」が説かれていた。

 

(デジタル・ミニマリズムというテーマだけでなく、

メンタルを安定させるということにも言及している本で、とてもおすすめ。) 

 

ただ、内省しすぎると、それはそれで鬱になってくるので、

バランスがとても重要。

一日中誰とも話さず、連絡を取り合わないのは、それはそれで苦しい。

 

こんなふうに自分の「メンタルが回復する行動」と、

「メンタルが悪化する」行動を知っておき、

「メンタルが悪化しているな」と感じているときに意識的に活用すると、

より楽に毎日を過ごせるのではないか、と思っている。

 

 

お世話になった先輩が異動したときの感情は

期末である2月末、社内で人事異動が発表された。

 

あれから1年が経った。

achten.hatenadiary.com

 

社内のことなので、詳しいことは書けないが、

コロナによる業績悪化のため、

社内の組織が大きく変わることになった。

 

それによって、社内のポストが大きく減ることになった。

 

自分の所属している部門も人員が減らされ、

この1年間、最もお世話になったであろう先輩も、他の部門に異動することになった。

 

思い浮かんだ感情は「悔しい」

 

その先輩には、1年間、優しく、「厳しく」指導していただき、

(あの程度を厳しいと言うなんて、上の世代や、詰め文化がある業界の人に鼻で笑われてしまうかもしれないが、ぼくからすると、そう感じたので、こういう表現をする。)

本当にお世話になった。

本当に悔しい思いをすることもあったけれど、

その悔しさや怒りは先輩に向かうことはなく、すべて自分自身に向かっていた。

 

他の先輩方から、同情されることもあり、「先輩のこと嫌いでしょ?(笑)」

と言われることもあったが、

ぼくは本当に、そういう感情はなかった。

 

先輩の異動を聞いたときに、自分の中に染み出てきた感情は「悔しい」だった。

なぜそういう感情が出てきたのか、深堀りすると、、、

 

なんか臭いと思われるかもしれないけれど、要は

「成長した自分を近くで見てもらえなくて、悔しい。」だ。

 

こどもっぽく具体化すると、

「ぼくの仕事がこの一年間ボロクソだったのは、ぼくの天性の『対応力の遅さ』のせいで、猛烈に努力して、自分のやり方をつかめば、ぼくだってあなたの期待以上にできる。」

「先輩のぼくに対するイメージが『2020年』のままストップしてしまうのが悔しい。」

 

こういうことだとわかった。

 

この悔しさは、部門が違う先輩にまで伝わるような

仕事ぶりをして晴らすしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ名変更しました。

なんのこともないのですが、ブログ名を変更しました。

 

「otsutsumi」→「アラサー百貨店マンの思考整備工場」

 

新ブログ名の意味

 

とくにブログ名にこだわりはないのですが、

このブログ名にした理由を強いて挙げるならば、

 

・いままで意味不明なブログ名だったので、わかりやすくしたかったということ。

・「アラサー本番」の年を迎えたこと(今年28歳)。

・もうすぐ入社5年目を迎え「百貨店マン」と称していいと思ったこと。

 

一方、懸念点は

・転職により「百貨店マン」でなくなる可能性があること。(今後3年以内)

 

※誤解されたくないので言っておくと、

 

・「百貨店マン」として仕事に対してはまじめに、まっすぐ向き合う。

・仕事に自分のリソースをコミットする。(しかし「会社」にコミットするわけではない。)

・常に自分の夢と照らし合わせて、現在地と方向性確認することを忘れない。

 

というぼくのスタンスは変わっていません。

「百貨店マン」と名乗り、プライドを持って仕事をすることに迷いはありません。

 

仕事に真剣に向き合うことと(仕事にコミットする)、

1つの会社に居続けること(会社にコミットする)は、

全く違います。

 

 

「otsutsumi」の意味

 

全くの余談ですが、

ぼくは、社会人になってやった仕事の中で一番得意な業務は、

いまだに、

包装(お包み)、リボンかけだと思っています。

(得意というのは、自分が得意だと思えば得意なので、言い切ります。)

 

そこから、響きがよかった「otsutsumi」という名前を付けました。

 

 

「得意業務=otsutsumi」からの脱却

 

というブログ名変更の理由づけもいいかなと

今思いつきました。

 

以上です。