アラサー元百貨店マンの思考整備工場

都内大学→新卒百貨店→広告代理店。人生2周目を迎えた名もない人間の物語を書きます。

『ラ・ラ・ランド』をハッピーエンドと思える人と結婚したい。

なぜか毎回ラストに号泣してしまう映画がある。

 

ラ・ラ・ランドである。


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今、非常に、凡俗なことのように聞こえてしまっていることには気づいている。

本記事は、メンタル維持のために、「作品としていい映画」「見ると心が洗われるコンテンツ」を探した結果、ラ・ラ・ランドに辿りつ着き、

なぜ、「みんなが好きな映画」が嫌いな僕が心惹かれるかを分析したものである。

 

心と時間に余裕がある人だけ読み進めてほしい。

gaga.ne.jp

 

 

ラ・ラ・ランド』とは

 

ラ・ラ・ランド』とは、2016年に公開されたアメリカのミュージカル映画である。

映画俳優を目指す、ミア(エマ・ストーン)とピアニストで、将来自分のジャズのお店を開くという夢があるセブ(ライアン・ゴズリング)の恋愛を描いている。

 

かなり有名な映画だから、観たことがある人は多いと思う。

 

このラ・ラ・ランドが公開された年は、やたらとテレビ(CMとか王様のブランチとか)等やネット上で

アカデミー賞最有力候補!大本命!」

 

 と煽られていたのを覚えている人はいるだろうか。

 

結果、作品賞は「ムーンライト」という作品が受賞し、

全世界がずっこける、、、という展開だったのだが、

 

それでも、他の6部門で受賞し、その年世界で最も評価された作品となった。

 

先に、あらすじを説明する。

 

 

あらすじ(ネタバレ)

 (曖昧な記憶に沿って書いたので、多少間違っているところがあると思います。ご了承ください。)

 

映画俳優を目指す、ミア(エマ・ストーン)とピアニストで、将来自分のジャズのお店を開くという夢があるセブ(ライアン・ゴズリング)が出会い、恋に落ちる。

夢に向かって2人とも頑張っているが、なかなかうまくいかない。

その中で、ぶつかり合い、お互いを傷つけてしまう。

 

セブは本当は純粋なジャズをやりたいが、なかなか生計を立てるまでに行かず、意にそぐわないながらも、現代風にアレンジしたおちゃらけジャズバンドに加入する。

 

ミアはオーディションに落ち続け、一人舞台に出演するも客も多くは入らず、また、酷評されてしまう。

 

もう俳優になる夢をあきらめようと、実家に帰ってしまうが、

そんな中、ミアの一人舞台を見た映画プロデューサーからオーディションを受けないかという打診の電話がセブにかかってくる。

 

セブはミアを、必死に説得し、オーディションを受けさせる。

結果、ミアはオーディションに合格し、プロデューサーから長期間、パリでの撮影に同行してくれと告げられる。

セブは、「君の夢だ」とミアを後押しし、二人は別れる。

 

5年後、大女優になったミアは、結婚し子どもも設けたが、その相手はセブではなかった。

旦那と出かけた先、ジャズが流れるお店にふらっと立ち寄った。

その店の名前は「セブズ」。

舞台の上のセブと、ミアは目が合った。

そこから、セブが弾きだした思い出の曲とともに「もし二人が、あらゆることがうまくいき、付き合い続けたら、、こうなっていただろうか。」といった二人の姿が浮かび上がってくる。

ほんの一瞬だけ二人は笑顔をかわし、ミアは店を去っていった。

 

 

以上がラ・ラ・ランドのあらすじである。

 

こんな作品は好きになるはずがない

いつものパターンで行けば、こういう映画は好きになるはずがない。

理由は2つある。 

 

①ミュージカル免疫がない。

日本は、ミュージカル文化が浸透しているとは言えない国であるが、

ぼくも例に漏れず、ミュージカルにはあまり慣れていない。

 

「えっ、ここで踊りだすの??道路のど真ん中だけど大丈夫??」

「セリフの途中から歌いだしちゃって、なんか見ていて恥ずかしい」

みたいな感じになってしまう。

 

 

② 「みんなが見てる」「アカデミー賞受賞!」みたいな映画を好きになりにくい。

 ぼくは、意地でもiPhoneにしなかったり、『君の名は。』を言うほどいい作品とは思えなかったり、

あまのじゃく的な性格中二病とも言う)である。

ラ・ラ・ランド』もそういう属性の映画であろう。

 

しかし、ぼくはラ・ラ・ランド』を見て、泣いてしまうのだ。

なぜか、分析してみた。

 

 

ラ・ラ・ランドに感動する要因は何か

 

①見ていて恥ずかしくないミュージカル

なんだろう、歌いだしたり、踊りだすシーンもラ・ラ・ランドは見ていて恥ずかしくならない。

セリフの途中でいきなり歌いだすシーンがないからだろうか。

と思ったら、やはりそういう分析をしている記事を見つけた。

 

theriver.jp

 

ぼくが感じたことは、他の人も感じていたようである。

ミュージカル的なわざとらしさを意図的になくしていたのだろう。

なんというか、ミュージカルシーンがより自然に始まるというか、そんな感じがした。

 

②引き込まれる音楽

 

たいして洋楽もミュージカル音楽も知らない自分が、なんかこういうことを言っている

のは非常に恥ずかしいのだが、

ミュージカルに使われる音楽としては、

「伝統的なにおいも感じつつ、新しくもありながら、古臭くない」音楽だなと感じた。

 

 

theriver.jp

 

③夢を追う人の現実を描くストーリー

 

本作のラストについて、世間では
「ハッピーエンドにしてほしかった。二人が結ばれてほしかった。」と言っている人が

多くいるらしい。

しかし、僕はほんのわずかでも、「ハッピーエンドではない」と思いつきもしなかった。

 

2人の夢は、「お互いに結婚して、一緒になること」ではなかった。

ミアには、女優になるという夢があり、 セブには自分のジャズの店を開くという夢があった。(そして、それが見事に叶った。=ハッピーエンドである。)

そういった中で二人は出会い、互いに認め合い、応援し合い、愛し合った。

タイミングが合わず、二人は別れることになったけれど、人生とか、恋愛とはそういうもの、なのだと僕は思っている。

、、だからこそ、このラストに感動するのではないかと考えている。

つまり、作品の人生とか恋愛に対するスタンスに共感したのではないかと。

 

言語化するのがとても難しいが、

運命の人が最初からいるわけではなく、自分の人生を生きていく(=夢を追う)なかで、たまたま会った人と付き合い、タイミングが合った人と結婚する。

その中で、出会い別れた人に対しても、いつか再会して(別にSNS上で見かけるだけでもいい)、「夢をかなえられて良かったね」と思い合いたい、

そういった願望が自分の中で実はあり、

それは恋愛における最大のハッピーエンドである、と考えている。

そういうことで、ラ・ラ・ランドのラストに感動したのではないか。

 

恥ずかしながらそんな風に分析した。

 

 

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