退職の挨拶を見た
ここ数ヶ月、僕の会社では退職者が続出してるのだが、
今日も1人、退職する社員の挨拶があった。
彼女はいわゆるコールセンター業務を担当していた、僕の親よりは若いくらいの方だった。直接やり取りをする機会はほとんどなかったのだが、とても大変な業務を日々こなしていてとてもすごいなと思っていた。
僕も前職はBtoCの企業で、とても大変なお客様の相手をすることもあったが、コールセンターのようにそういったお客様による問い合わせを集中して受けていたわけではないので、一層彼女のことをすごいなあと感じていた。
いつになるかはわからないが、いずれは自分もこの会社を出るだろう。
そのとき自分ははどんな挨拶をするのだろうと想像しながら、彼女の挨拶を聞いていた。
ブログを日記化できるか
2023年も始まってもう3週間経ってしまった。
昨年の12月からは家探しで忙しく、ルーティンをだいぶぶっ壊してしまったので、
ここから立て直そうと思う。
その中で、毎日、手帳に日記を書くことをルーティンの1つにしていたのだが、なかなかなか定着しづらい上に効果があまり感じられない。
自分の1日を振り返り反省して次の日に活かすことを目的としていた。
続けるために「少しでいいから」と言って3行くらい書いているのだが、あまり効果が感じられなかった。
だから、やり方を変えてブログを日記代わりに更新する、ということをやってみる。
他人に見られない手帳に書くのと、WEB上にオープンに書くブログではかなり性質が違う媒体になるのだが、まずはやってみようと思う。
夜も遅いので今日はもう寝よう。
退職者がまた1人、いや3人
2022年11月、先週の話。
同僚の突然の誘いで、仕事終わりに4人くらいで飲みにいくことになった。
そこで、同僚の一人(自分と近い時期に中途入社した年下の男性)が年内で会社辞めるということを聞いた。
先月から数えて、ぼくが知った退職及び退職予定者は5人目くらいだろうか。
以前自分が所属していたような万人規模の大企業からしたらなんともないのだろうが、
今の会社は、100人にも満たない中小企業である。
社員の7~8%が3か月間で一気に辞めるのはかなりインパクトがある。
それに伴ってか伴わずか、来週に、来期からの体制変更が発表されるらしい。
うまく回らないチームが出てくるだろうから、当然である。
自分のチームで退職予定者はいないが、
ぼく自身も安心していられないと考えている。
社内でぼくは、別に地位が保証されているような立場ではないから、自分の意志と関係なく自分の希望外のポジションに飛ばされるとも限らない。
自分は、まずは今年の12月(来月)まで、今の仕事を頑張ってそれから今後のことを考えよう、という計画を立てている。
具体的には、来月までに職務経歴書に書けるような仕事を1つでも多くこなすことを目標にしたい。
11/23追記
ぼくが知らなかった退職者が2人増えた。退職者は全社の10%近くにのぼる。
執筆再開。物語の続きへ。
最後の記事を書いてから半年ほど経つだろうか。
もうこのブログでは書かないと宣言していたが、撤回する。
それを決めた要因となった僕の周りで起きた事象をこの記事で書こうと思う。
最近起きたこと
仲の良い同僚が3人立て続けに会社を辞める
1人目 昨年自分と近い時期に中途入社したお子さん2人を持つ30代男性
先月のことである。
入社時期も近く、とても仲良くしてもらっていたお兄さん的な存在の同僚本人から、
11月で辞めると、会社近くの定食屋で伝えられた。
理由は家庭の事情。奥さんが仕事を続けられなくなり、そうすると今の会社の給料では家計が厳しくなるため、給料が良い前職に戻るそうだ。
2人目 昨年自分と近い時期に中途入社したお子さん1人を持つ30代女性
これも先月のことである。
入社時期も近く、中途入社仲間として一緒に飲んだりしていたお姉さん的な存在の同僚本人から、チャットで会社を年内で辞めると伝えられた。
理由は詳しくは聞いていないが、この会社に入社してから体調を崩していたことが
原因かもしれない。突っ込んで聞いていいか迷う感じである。
3人目 昨年新卒入社した部署が一緒だったこともある20代男性
これもすべて先月のことである。
ぼくの入社時、同じ部署で当時1年目だった同僚本人から、会社近くのとんかつ屋で会社を年内で辞めると伝えられた。
理由は会社を辞めてエンタメの世界に飛び込むからだそうだ。友人がやっているYoutubeのチームに裏方として加わるとのこと。
明け方の若者のたち
『明け方の若者たち』という映画を観た。
夢を持って社会人になって、現実の仕事と恋愛の有限性に打ちのめされて何かを悟り、また歩き出す話である。
僕らは打ちのめされるまでを「人生の1周目」、そのあとを「人生の2周目」と呼ぶことにした。
3周目以降があるかはわからないけれど、自分の「1周目」が終わり「2周目」に入ったことを自認した。
えんとつ町のプペル
今年もえんとつ町のプペルを観に行った。
2020年公開の映画だが、2021年、2022年とハロウィンの時期に復活上映をしていて、今年も観に行った。
最初に観たときと、今年観たときとでは自分の見方が変わっていた。
(同じ映画を時期を替えて何回も観ると見方が変わる現象は、『モテキ』などで検証済みではある。)
人生こそが誰でも語れる最大の物語である
以前からそういえば感じていたことだが、
人生そのものが物語で、しかもそれはどんな物語より大きく、身近で、臨場感があり、切実に伝えられ、受け取ることができる物語であると思う。
世界には面白い物語がたくさんある。
しかしそれらのどんな物語よりも、それを書いた小説家の人生という物語ほど面白いものはないと僕は思う。
人生という物語が、小説という物語を生み出すのだ。
だから僕は、何も生み出せないとしても物語の続きを書く。
だけど僕は
ゲスの極み乙女。の1曲35分の曲がすごい。
ゲスの極み乙女。の結成10周年を記念したベストアルバム『丸』が5月11日(水)にリリースされた。
25曲を1曲にしてあるのだが、ただ繋げただけではなく、各曲をパーツごとに分解して再構築してあり(「Aメロはこの曲で、Bメロは別の曲で~」とか「メロディーはこの曲なんだけど歌詞は別の曲で~」みたいな)、素晴らしかった。
結成4周年のときから追い続けているから、なんだか感慨深い。
川谷絵音になりたいボーイだった。
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(2017)という好きな映画がある。
あれは、「最後、自分がなりたいものを妥協して、周りに求められる自分になるんだけど、やっぱりさみしい」という話とも取れる。
それでいうと、少し前までの自分は『川谷絵音になりたいボーイ』だった。
騒動後、約1年間の活動休止の後の初めてのライブで、ケロッとして何事もなかったかのように、堂々と自分の音楽をしていた姿は強く印象に残っている。
でも、「いつもこうやってるの?」と言って、寄ってきた女性を何人冷めた目で見ただけでは、川谷絵音にはなれない。
そういうタイミングが来たのだろうと思ったので、「なりたいもの」になろうとしていた時代に書いたこのブログはやめて、新しい場所でまた始めることにする。
別にこれはプラスでもマイナスでもなくて、「前進」だ。
いまでもなりたいもの、カイリュー、アメニモマケズの人、伊野尾慧
そんな中で、26歳くらいの時からなりたいもの3つは今もなりたい。
①カイリュー
理由:優しくて人当たり良くてなおかつ強いから。
②宮沢賢治『雨ニモマケズ』の人
理由:ソウイウモノニワタシハナリタイから。
③伊野尾慧
理由:渋くなれない人にとっての光だから。
またいつかどこかで。