塾講師や家庭教師のアルバイトをした人なら誰でも、一度は遭遇する問いがある。
子どもたちからの
「なんで勉強するの?将来、こんなの使わないじゃん。」
という問いである。
明確な答えがあるわけではないが、子どもに勉強を教える仕事に就く者なら、
自分の中の明確な答えを持っていなければならない。
よくあるパターンの答えとしては、
①嫌なことをやる練習なんだよパターン
人生は好きなことばかりではない、やりたくないけど、やらなければならないということがたくさんある。と勉強を「やりたくないこと」と割り切ってそれでも意味があるんだとなだめる。
②可能性を捨てないで残しておくためだよパターン
勉強ができると、勉強ができないと就けない職業に就く可能性を残しておける。
確かに、二次関数ができなくても生きていけるけど、二次関数ができないと進めない人生を捨てることになるぞ、と脅して納得させる。
③受験のためだパターン
深いところには触れず、シンプルに「高校行きたいだろ?勉強しろ」と考えすぎるなと勢いで押し切る。
などがある。
その中でもぼくは①を主に答えていた。
自分の勝ちパターンを見つける。
社会人になって気づいたのだが、
「自分の勝ちパターンを見つける」という意味もあったなと気づいた。
とても抽象的な表現になってしまうが、わかる人にはわかると思う。
別に勉強ではなくても、スポーツや部活でもいい。
なにか目標を達成する際に自分がどうアプローチすれば結果が出るのか、試行錯誤することは、社会人になっても役に立つんだなということが今になってよくわかる。
僕の場合の勝ちパターンは、
・ふつうの人(発達障害の性質が少ない人)と同じ方法を取らない。
・一見遠回りに見えても、方法論から勉強し作戦を立てる。
・準備を徹底的に行う。
・自分のリソース(時間・体力・精神)を徹底的に投入する。
ということだ。
自分はとにかくアドリブ力、とっさの対応力がない。要領が良くない。
でも愚直にやり続ける根性と空気の読まない(読めない)発想の切り口はある。
こういった自分の性質は、受験勉強で壁にぶつかって挫折し、見つけることができた。
そしてその挫折を乗り越えるために、苦しみながらも試行錯誤した結果、上のような勝ちパターンを見つけることができた。
その勝ちパターンは、受験勉強にしか使えないとしばらく思っていたが、
社会人になっても応用可能だった。
自分というものの性質は変わらない。
ほかの人が王道走っているように見えてあこがれてしまっても、そのまま真似をしてはいけない。
所詮、自分のやり方を、愚直にやり続けるしかないのだ。