なぜか毎回ラストに号泣してしまう映画がある。
『ラ・ラ・ランド』である。
今、非常に、凡俗なことのように聞こえてしまっていることには気づいている。
本記事は、メンタル維持のために、「作品としていい映画」「見ると心が洗われるコンテンツ」を探した結果、ラ・ラ・ランドに辿りつ着き、
なぜ、「みんなが好きな映画」が嫌いな僕が心惹かれるかを分析したものである。
心と時間に余裕がある人だけ読み進めてほしい。
gaga.ne.jp
『ラ・ラ・ランド』とは、2016年に公開されたアメリカのミュージカル映画である。
映画俳優を目指す、ミア(エマ・ストーン)とピアニストで、将来自分のジャズのお店を開くという夢があるセブ(ライアン・ゴズリング)の恋愛を描いている。
かなり有名な映画だから、観たことがある人は多いと思う。
このラ・ラ・ランドが公開された年は、やたらとテレビ(CMとか王様のブランチとか)等やネット上で
「アカデミー賞最有力候補!大本命!」
と煽られていたのを覚えている人はいるだろうか。
結果、作品賞は「ムーンライト」という作品が受賞し、
全世界がずっこける、、、という展開だったのだが、
それでも、他の6部門で受賞し、その年世界で最も評価された作品となった。
先に、あらすじを説明する。
あらすじ(ネタバレ)
(曖昧な記憶に沿って書いたので、多少間違っているところがあると思います。ご了承ください。)
映画俳優を目指す、ミア(エマ・ストーン)とピアニストで、将来自分のジャズのお店を開くという夢があるセブ(ライアン・ゴズリング)が出会い、恋に落ちる。
夢に向かって2人とも頑張っているが、なかなかうまくいかない。
その中で、ぶつかり合い、お互いを傷つけてしまう。
セブは本当は純粋なジャズをやりたいが、なかなか生計を立てるまでに行かず、意にそぐわないながらも、現代風にアレンジしたおちゃらけジャズバンドに加入する。
ミアはオーディションに落ち続け、一人舞台に出演するも客も多くは入らず、また、酷評されてしまう。
もう俳優になる夢をあきらめようと、実家に帰ってしまうが、
そんな中、ミアの一人舞台を見た映画プロデューサーからオーディションを受けないかという打診の電話がセブにかかってくる。
セブはミアを、必死に説得し、オーディションを受けさせる。
結果、ミアはオーディションに合格し、プロデューサーから長期間、パリでの撮影に同行してくれと告げられる。
セブは、「君の夢だ」とミアを後押しし、二人は別れる。
5年後、大女優になったミアは、結婚し子どもも設けたが、その相手はセブではなかった。
旦那と出かけた先、ジャズが流れるお店にふらっと立ち寄った。
その店の名前は「セブズ」。
舞台の上のセブと、ミアは目が合った。
そこから、セブが弾きだした思い出の曲とともに「もし二人が、あらゆることがうまくいき、付き合い続けたら、、こうなっていただろうか。」といった二人の姿が浮かび上がってくる。
ほんの一瞬だけ二人は笑顔をかわし、ミアは店を去っていった。
以上がラ・ラ・ランドのあらすじである。
こんな作品は好きになるはずがない
いつものパターンで行けば、こういう映画は好きになるはずがない。
理由は2つある。
①ミュージカル免疫がない。
日本は、ミュージカル文化が浸透しているとは言えない国であるが、
ぼくも例に漏れず、ミュージカルにはあまり慣れていない。
「えっ、ここで踊りだすの??道路のど真ん中だけど大丈夫??」
「セリフの途中から歌いだしちゃって、なんか見ていて恥ずかしい」
みたいな感じになってしまう。
② 「みんなが見てる」「アカデミー賞受賞!」みたいな映画を好きになりにくい。
ぼくは、意地でもiPhoneにしなかったり、『君の名は。』を言うほどいい作品とは思えなかったり、
あまのじゃく的な性格(中二病とも言う)である。
『ラ・ラ・ランド』もそういう属性の映画であろう。
しかし、ぼくは『ラ・ラ・ランド』を見て、泣いてしまうのだ。
なぜか、分析してみた。
①見ていて恥ずかしくないミュージカル
なんだろう、歌いだしたり、踊りだすシーンもラ・ラ・ランドは見ていて恥ずかしくならない。
セリフの途中でいきなり歌いだすシーンがないからだろうか。
と思ったら、やはりそういう分析をしている記事を見つけた。
theriver.jp
ぼくが感じたことは、他の人も感じていたようである。
ミュージカル的なわざとらしさを意図的になくしていたのだろう。
なんというか、ミュージカルシーンがより自然に始まるというか、そんな感じがした。
②引き込まれる音楽
たいして洋楽もミュージカル音楽も知らない自分が、なんかこういうことを言っている
のは非常に恥ずかしいのだが、
ミュージカルに使われる音楽としては、
「伝統的なにおいも感じつつ、新しくもありながら、古臭くない」音楽だなと感じた。
theriver.jp
③夢を追う人の現実を描くストーリー
本作のラストについて、世間では
「ハッピーエンドにしてほしかった。二人が結ばれてほしかった。」と言っている人が
多くいるらしい。
しかし、僕はほんのわずかでも、「ハッピーエンドではない」と思いつきもしなかった。
2人の夢は、「お互いに結婚して、一緒になること」ではなかった。
ミアには、女優になるという夢があり、 セブには自分のジャズの店を開くという夢があった。(そして、それが見事に叶った。=ハッピーエンドである。)
そういった中で二人は出会い、互いに認め合い、応援し合い、愛し合った。
タイミングが合わず、二人は別れることになったけれど、人生とか、恋愛とはそういうもの、なのだと僕は思っている。
、、だからこそ、このラストに感動するのではないかと考えている。
つまり、作品の人生とか恋愛に対するスタンスに共感したのではないかと。
言語化するのがとても難しいが、
運命の人が最初からいるわけではなく、自分の人生を生きていく(=夢を追う)なかで、たまたま会った人と付き合い、タイミングが合った人と結婚する。
その中で、出会い別れた人に対しても、いつか再会して(別にSNS上で見かけるだけでもいい)、「夢をかなえられて良かったね」と思い合いたい、
そういった願望が自分の中で実はあり、
それは恋愛における最大のハッピーエンドである、と考えている。
そういうことで、ラ・ラ・ランドのラストに感動したのではないか。
恥ずかしながらそんな風に分析した。
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